今は亡き両親の事!その4(最終)

晩年はお酒飲みだった父も、この頃はほとんどお酒を飲んだ事はなかったのにある夜一升瓶をからにしてしまい、母に仕切りとあたっていた事がありました。きっと切ない思いが、溜まってしまってのことと思いますが、悲しそうな両親の声を聞いたのは、この時が初めてでした。「手当」と言う言葉を聞くたびに、父の中指の曲がった手を思い出します。ある日、激しい腹痛に襲われ苦しんでいる私を、「手当」の語源通り治るまでじっと長い事、手を当てて看病してくれたのでした。父が亡くなる一ヶ月位、宇都宮国立病院で一週間位、一緒にいられた時、昔してくれた「手当」のお返しに、よく背中をさすってあげると、「ああチャーだ・・・・」と言って、ある中国人の話をし始めました大金持ちで、息子達も医者等の立派な職業に就いていて、何不自由ない生活だったこの中国人の、最後の面倒を本当に見てくれたのは、お婆さんだったチェという人だった(中国人なので、チャと発音したとか・・・)そうです。「人の幸福」と言うのはこんな所にあるものだとしみじみ語った。私の知る限りでは両親は「責任感の強い人であったし、子供達にも、周りの人達にも、とても良くしていた様である。だから最後は、子供達全員に看取られて「幸せ」であった事が、私の気持ちを明るくしています。

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